最近よく本で見かける”10割で出来ている系”のタイトルじゃない
実は自己否定はすべて条件によって出来ているのさ
自己否定をよく観察すると、条件が隠れています。その条件によってどんな自己否定を生み出されるのかが決まります。今回は、自己否定の裏にある条件について深堀りします。
・自己否定が生まれる条件とは
・自分を否定する自分を変える
・観察が気付く力を育てる
あらゆる事象は条件で出来ている
お魚が育つには、海やプランクトンが必要です。 プランクトンがいなくなれば、お魚も消えてしまいます。
植物が育つには、大地と太陽、空気が必要です。 空気がなくなれば植物も消えてしまいます。
同じように、あらゆる事象には条件が必要です。その中には人の心理現象も含まれます。
「Aさんに言われた言葉に傷ついた」とすると、条件は「Aさん」「言葉」「自分」「感情」が必要です。この中の条件が欠けると、傷つくこともなくなります。
自己否定が生まれる条件
自己否定が生まれる条件は少し複雑です。
必ず必要とするコアの条件と自己否定のきっかけとなる条件があります。
コアの条件
自己存在(自己認識)
私自身が必要になります。
自己否定は文字通り自分を否定する行為です。
否定する自分がいなくなれば、自己否定も消えます。
自己否定を撲滅するときに目指すのは、「否定する自分」がいなくなることです。
脳の習慣(認識構造)
脳は記憶という過去のデータバンク内の情報を、繰り返し活用する機能があります。
自分を否定する、否定されたときに、自分に✖を付けてしまうと、その情報が脳のデータバンクの中にインプットされます。
否定されるごとに、「やっぱり私は」を繰り返してしまうと習慣化され、脳が勝手に自己否定とつなげてしまう現象が起きます。
心から自分を否定したくないのに自己否定してしまうのは、自分の意志とは関係なく、脳が機械的条件反射で勝手に行っているためです。
不完全性
脳は部分情報だけをとって、存在や現象の全体像を決めつけてしまいます。
決めつけた情報は、他の部分情報をとれば別の決めつけが生まれてしまう不完全性を持ちます。
何かを決めつけた瞬間に、必ず肯定と否定が生まれます。完全に肯定される、または完全に否定される情報はありません。
あらゆる情報には、不完全さが含まれています。
自分をどう思うのかについても不完全性が働き、自己否定へとつながってしまいます。
きっかけの条件
受動マインド
自分をどう思うのかを、他者や条件を介在させ決めつけるのが受動マインドです。
愛されない私や受け入れられない私。出来ない私、認めてもらえない私のように、〇〇な私と自分以外の他者や条件とつなげて「私」を表現しています。
自分が何者なのかは本来、自分自身が意志決定するものです。
他者を介在させることで受動マインドが動き、自己否定へとつながってしまいます。
相対比較
少しでも不安があると、他者と出会うことで相対比較がはじまります。
不安と感じる対象は、服装や体調、天気など様々です。
比較が学びに変われば自己否定になることはありません。 しかし、自分の不完全さとつなげてしまうと自己否定へ向かってしまいます。
足りないもの探し
不完全を言い換えると”何か足りない”となります。
私たちは、些細なことでは満足せず、次から次へと足りないもの探しをしてしまいます。
足りないもの探しが自己存在に関連するものになると、探しだそうとするエネルギーも強くなり、なかなか満たされなくなります。
満たされる答えが見つからないと、不完全な自分なんだと思い込んでしまいます。
正解探し
何に対しても、正解があると思っています。
正解を選択し続けば、誰からも咎められず、認めてもらえると、どこかで確信しています。
しかし、当然そんなことはありません。それを理解していても、正解を探してしまいます。
その正解が得られない状態が続くと、自己否定へとつながってしまいます。
分かってもらえない
自分に不完全さを感じてしまうと、その足りない何かを相手に求めようとします。
他者は自分の思った通りに動くことはありません。認めてもらえない、分かってくれないという感情が湧き起こってきます。
求めているのに応えてくれない状態が続くと、孤独や寂しさを感じ、その原因が自分という存在にあるのだと、自己否定へとつなげてしまいます。
自分を否定する自分を変える
自己否定を変えるために、コアの条件に対しては理解をとことん深めること。きっかけの条件については、観察して気付く力を身に付けることが大事です。
理解を深める
脳の認識構造
脳が世界を認識するときに働くのが認識構造です。
認識構造には、「認識のクセ」と「解析サイクル」という仕組みがあります。
この働きは私たちの考えや感情、判断や行動に100%影響を与えています。
認識構造を理解することは、脳が何をどのように受け取っているのかを理解することであり、考えや感情に影響を与えている土台を知ることです。
自己否定も悩みも自己認識もすべて脳で行われています。認識構造を理解することで、これまで思っていた常識の多くが覆されるでしょう。
自分自身をどう思うのか
自分が何者なのかは自分で決めるものです。
自分以外の他者や条件を介在させて、「○○な私」と決めつけると、”受動的な私”が思い感じる世界で生きなければならなくなります。
心からなるべきだと思う自分を深く感じ、様々な表現を生み出せるほどの理解を深める必要があります。
自分を愛することが出来るほど、世界もまた愛することが出来るのです。
不完全さという可能性
不完全はダメなものだと思い込んでいる人が多く残念でなりません。
歯車はお互いの歯車の間にすき間があるからこそ、噛み合うことが出来ます。
車のハンドルは遊びがあるからこそ、スムーズに車をコントロールすることが出来ます。
心に余裕があるからこそ、柔軟な対応や発想が出来ます。
不完全さとは、すき間であり、遊びであり、余裕です。
これらをダメなものだと思い込むことは、人生をその分喪失していることになります。
不完全とは何かを深く理解することは、自分と世界の根底に余裕を持つことです。
観察して気付く力を育てる
「〇〇な私」に気付く
無意識で思っていることを変えるのは簡単ではありません。しかし、変えようと思わなければ、気づくこともありません。
○○な私とは、受動的な私です。
受動的な私は、ついつい周りを気にしてしまいます。 顔色を見てしまったり、どう思われるのかをきにしたり、自分の表現を止めようとしたりします。
そんな時に、「あー、これが〇〇な私なんだ」と気付くことです。
気付いたら、時間がたってもいいので、あの時本当にしたかったのはなんだろうと振り返ることが気付く力を育てることにもなります。
自己存在とつなげない
脳は自己存在に関する情報には強い思い込みが働きます。
本来、自分には関係のないことでも、自分とつなげて思い続けるだけで、思い悩んでしまうほどです。
何について考えているのか、何に取り組んでいるのか、何を感じているのかの、対象である「何」がいつのまにか「自分」と並列化し置き換わってしまうことを、自己存在とつながると言います。
認識している対象である「何」と「自分」を分けて考えるようにしましょう。
「あーなんかごちゃごちゃしてきた」と感じたら、分けることをはじめましょう。
何が足りないのかを見極める
足りないものを見つけると、それをすぐに補おうとしてしまいます。 手段やツール、考え方、補ってくれる人を探し始めてしまいます。
これは、何が問題なのかもわかっていないのに、解決しようとしている状態です。
当然、表面的な解決であり、同じ問題を繰り返してしまいます。
足りないと感じたのなら、そもそも何が足りないのかを見極めようと切り替えましょう。
その特定する基準は、足りない何かがそもそも無くなれば、モヤモヤした感覚も補おうとする考えも、不安や焦りもすべて、消えてしまうことです。
あなた自身の正解を探す
何か正解があると信じ込んでいると、自分が何を感じ考えているのかよりも、正解を優先してしまいます。 このままでは、ただ周りに合わせているだけの生き方になってしまいます。
大切なのは、私が思う正解です。 その選択をしたときに初めて、なぜそう思ったのかを学ぶことが出来ます。さらに、相手の意見に質問することが出来ます。
学びが始まれば、私の正解があるのなら、相手にとっての正解もある。すべての人にその人ならではの正解があることに気付けるはずです。
良い関係性とは、相手が何をどう認識しているのかに出会うことで始まります。 そのためにもまずは自分が思う正解を意識することが大切です。
努力せずに分かり合えない
分かり合えないことほど、心に深く傷を負うことはありません。
分かり合えない時は、ほとんど、「分かり合えるはずだ」という前提が働いています。
「分かり合えるはずだ」と思っているからこそ、分かり合えないことに傷つくからです。
逆に「努力せずに分かり合うのは不可能だ」と思っていれば、分かり合えないことに凹むことなく、どこまでが分かって、どこからが分からないのかと確認する気持ちが働きます。
事実、脳の認識構造の仕組みから観れば、努力せずに分かり合うことは不可能です。
人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。バーナード・ショー
まとめ
自己否定は分かっていても繰り返してしまう、やっかいな習慣です。
何度も何度も繰り返すということは、そこに何か強い意志が働いています。
それは心からの自分を現したいという意思です。
自己否定は必ず解決します。
そのプロジェクトが疎通の課題です。