分かり合う時代をめざして

メタバースがもたらす人間関係の未来 -観点の障壁を越えられるのか-

waku

メタバースだと内面と内面の出会いになるそうだけど、それってかなり大きなことだよね

Kuru

そうなの、人と人の違いを乗り越えられる大きなきっかけになりそうなのよ

人間関係は私たちにとって重要なキーワードです。メタバースによって人間関係はどのような変化をするのでしょうか。
今回は、メタバースがもたらす人間関係の未来を覗いてみます。

✓記事の内容

・メタバースがもたらす衝撃
・観点の違いを越えられるのか
・普遍的世紀の到来

目次

人間関係はメタバースの中でも大事なキーワード

前回の記事「メタバースは人の尊厳を守れるのか」では、メタバースの基本的な知識を抑えたうえで、現実とメタバースの対比を踏まえながら、人の意識が大きく変わる未来がやってくるという内容をお伝えしました。

今回は、前回書ききれなかった、人間関係について一歩踏み込んで書いてみようと思います。

以前の記事で「人生を幸せにするのは何? 75年724人もの男性を追跡した結論 ハーバード成人発達研究」をご紹介しています。

これは、人生の幸せには良好な人間関係が必要だというものです。 自分の喜びや悩みを打ち明け、心の交流が出来る人が側にいるだけで人生に豊かさをもたらしてくれることを教えてくれています。

メタバースの中でも同じことが言えます。

メタバースは現実の人間関係とは異なり、地域や文化、国を越えた関係が得られます。想像を超えるような濃度の濃い関係構築が出来る世界です。

なんでも打ち明けられ交流できる人間関係があるのかないのかは、メタバースという領域を超えて、人生に大きな影響を与えるでしょう。

メタバースがもたらす二つの衝撃

メタバースが人間関係に与えるであろう影響の中で特に衝撃的なことを二つ深めてみたいと思います。

メタバースで人は情報の奴隷になりやすい

人は不確定な情報を簡単に信じてしまう

現在、世界はコロナによる悲劇に覆われています。 その中で注目したいのが陰謀論です。

どこの誰が何のために出しているのか分からない不確定な情報を、多くの人が信じ切ってしまいます。なぜこのようなことが起きるのでしょうか?

諸説ありますが、人の心理にある”安心したい””正義者でありたい”という二つの欲求に、するりと入り込んでしまうため、疑うことなく確信的な思い込みにハマってしまうようです。

そして恐ろしいことに、不確かな情報であっても、人は信じ切ってしまうと他の人の話を全く聞けなくなってしまいます。

まだ記憶に新しいですが、2020年1月に起きたトランプ前アメリカ大統領の支持者が起こした米議会襲撃事件や日本でも度々起きている誤情報による誹謗中傷などは、信じ切ってしまった人たちによる誤った”正義の行動”が起こした結果です。

これまでに築いた人間関係のすべてを破壊する側面を誰もが持っています。しかし、それを私たちは自分ごととして理解してはいません。

メタバースでは情報が圧倒的に偏ってしまう

パソコンやスマホ、SNSを使っていると接する情報が偏ってしまうことが知られています。

自分に興味のある情報だけを受け取ってしまうと、当然、考え方や物事の感じ方に偏りが出てしまいます。 継続し続けると、質の異なる情報と出会うことにさえ抵抗感を感じたり、考える力の低下を招いてしまいます。

これはひとつの社会問題となっています。

メタバースで受ける情報量はこれらの比ではありません。 VRゴーグルを使えば、視覚と聴覚をメタバースに没入することになります。

シュミレーションしてみましょう。

友人の勧めで初めて訪れるエリアに来ました。
心地よいアーティストの音楽が繰り返し流れ、様々なテーマの交流会が行われています。
どのテーマに参加しても、交流した人達はみんな私を肯定してくれ、主張できない私でも気軽に自分の意見を言えるほど安心感があります。ほどなくして自分の成長も実感し新しい友人もできました。このエリアは楽しいと感じるようになりました。
その時には、BGMとして流れていたアーティストも気に入っているはずです。
ある時、BGMで流れていたアーティストのアバターが登場し、「今、メタバースで〇〇が起きています、助けて下さい」とお願いされたら、「助けるつもりはありません」とは言えない心情になっていました。

現実の世界では、自分の好みに関わらず様々な情報と出会います。
自分が関心の高い情報に対し、懐疑的な意見を目にすることも少なくありません。 しかし、メタバース内では、異質な情報との出会いは圧倒的に少なくなり、関わっている情報ばかりを受動的に得ることになります。

閉鎖的な環境の中では、自分が何をどう思い、どう感じるのか、自分にとって〇〇とは何かという認識が、簡単に書き換わってしまいます。

私たちはそこに対して身を守る教育を受けないまま、メタバースの時代を迎えようとしています。

メタバースでは内面と内面が出会う世界になる

関係構築では五感覚で得られる情報に意味がなくなる

メタバースではアバターを使って様々なコトを経験します。

アバターはいつでも変更可能です。今日のアバターと明日のアバターを丸っと変更が可能です。

また設定をいじるだけで、自分が見ている画面を自由に変える事も出来ます。

これは、目の前に誰がいるのかを五感覚で判別するのが難しくなることを意味します。

「私は猫の世界が見たいから私の画面ではぜんぶ猫にする」、と、他のアバターが人型でつくられていたとしても、私が見る画面ではそれらをぜんぶ猫型に変えてしまえるということです。

つまり、人間関係において、五感覚で得られる情報ではそこに誰がいるのかを特定できなくなるため、五感覚の情報は意味を持たなくなります。 その代わり、内面と内面の出会いだけが人間関係をつくる要素となるのです。

その人が何をどう思うのか、どう感じるのか、どう考えるのか、その人にとって〇〇とは何かというコミュニケーションを通してのみ、相手を理解し、関係を構築する世界となります。

これは、五感覚の情報が関係性に影響を与える現実の関係構築とは、全く異なる感覚を使うことになります。

関係構築力が二極化する

現実の世界でコンプレックスが原因で関係構築が苦手な人でも、メタバースの中では多くの人から信頼を得る中心的アバターになる可能性があります。

また逆に、現実では属性が高く人望を集めている人でも、メタバースの中では関係構築がうまくできなくなる人も出てくるでしょう。

メタバースの中では、容姿や肩書、学歴やバックグランドは一切関係なくなります。 「人を愛することが出来るのか」という純粋な気持ちが重要となります。

その結果、内面と内面との出会いによる関係構築を楽しめる人達と課金アイテムなどの五感覚情報で関係構築を補おうとする人たちの二極化が一時的に起きるでしょう。

しかし、五感覚情報が表面的であると気付く人も多いはずです。 内面と内面との出会いをよりよくしたいと思う人が増えていくのは時間の問題です。

メタバースは関係力を進化させるコンテンツがブームになる

人は内面に不安が溢れると弱くなり、内面が揺らがなくなると強くなります。

内面が強くなれば、偏った情報に振り回されることも少なくなります。人に最も影響を与えるのは、やはり人です。

メタバースでは、「内面とどのように出会うのか」「内面とどのように向き合うのか」「揺らがない内面になるにはどうするのか」といったコンテンツに関心が集まるでしょう。

メタバース内では、自動翻訳が標準装備される世界です。 世界中の人と出会い、様々な違いを通して、多くの学びを得る人が爆発的に増えていきます。

そうなれば、世界中で関係構築や人間性を深めるコンテンツがブームとなるでしょう。 なぜならば、人間にとって乗り越えなければならないのは観点と観点の違いであることが明白になるからです。

人間は観点の違いを乗り越えることが出来るのか

尊厳という言葉の大切さを深く理解している二人がいたとします。 一見、尊厳というキーワードにおいて、この二人は同じ基準を持っている思いやすいのですが、実はそうではありません。

脳が違えば、思い描いている世界の出発は異なります。出発が異なれば、深層深く理解したとしてもその違いを埋めることは出来ません。

条件・状況・環境が違えば、ひとりの世界でさえも、尊厳が持つ意味や価値に微妙な違いが生まれます。これが異なる二人であれば、完全に一致することは不可能です。

メタバースで内面と内面との出会いが重要であることに気付いた先に、必ず待っている障壁が、この観点と観点の違いです。

「私の観点から考える尊厳」と「相手の観点から考える尊厳」には必ず違いが生まれることになり、ちょっとした誤解から関係性の分断や望まない争いの原因となります。
逆に言えば、この障壁を越えることが出来れば、人と人とは無条件で協力し合うことが可能となります。

この力は世界を動かすほどの力となります。そして、今の世界に足りないのもこの力です。

どこから情報を整理するのか、基準点の必要性

世界には人を愛することの大切さを実感している人の方が、半数以上いると信じています。

それらの人が、観点の障壁を越えることが出来た時に、世界を動かすほどの力を発揮できると気付いたとしたら、様々な情報をどこから整理すればいいのかの基準点の必要性に気づくでしょう。

世界には、数学や哲学、歴史や宗教など、様々な観点があり、それらを納得させることが出来なければ、賛同を得ることは出来ません。これは簡単に答えが出る話ではありません。

また、単なる論理の話ではなく、地域によっては涙や痛みを抱えている場合もあるでしょう。

「人間は人間と争うために生まれてきた存在だ」と言っても過言ではないほど、人間の歴史は争いの歴史です。

コロナパンデミックという未曽有の危機でさえも、覇権戦争の道具として使われています。

これを終わらせることが出来るのが、観点の障壁を越える基準点です。

この基準点を持つ人が増えれば、全ての人が協力して、コロナ関連の医療設備を世界中で製造し、提供するような圧力を既得権益や支配権力にかけることができるでしょう。

人を愛することの大切さを感じている人であれば、この基準点が啓く未来を一度でいいから経験したいと思うのではないでしょうか。

認識技術 nTechが示す基準点

令和哲学者NohJesu氏が起こした認識技術nTechでは、すでにこの基準点を示しています。

結論からいえば、それは「自分と自分の宇宙が実在している」「自分と自分の宇宙が実在していない」をイコールにする基準点です。

自分が分かればすべて分かる

私たちは、「自分」を中心に世界(宇宙)を描いています。

哲学から始まった学問もすべては、「自分(人間)とは何か」を解き明かすためのものです。
様々な観点もすべては自分を知るためだと考えると、全ての観点は自分に起因していると考えることが出来ます。
つまり自分が分かればすべて分かるということです。

私は実在しているのか、実在していないのか

実在とは、「永遠に変わらずにある」ことを指しています。

私が実在しているとは、「私が私で在り続けることは永遠に変わらない」ことを指しています。

当然、人間は必ず死にゆく存在です。永遠に変わらずにそこに在り続けることは出来ません。

では私は実在していないということでしょうか。

私が実在していないのであれば、私が私ではない時があることになります。私自身が変化して、私であったり、私ではなかったりしていることになるのです。

これは感覚的にはしっくりきません。 私たちは「自分が自分であることはずっと変わらない」と思っていますし、自分を見失うようなことは受け入れられません。

この問いはプラトンやニーチェ、カントやフッサールなど多くの哲学者たちが様々な形式で問い続け、多くの言葉や概念で整理しています。 余談ですが、「自分と自分の宇宙が実在している」は相対世界。「自分と自分の宇宙が実在していない」は絶対世界と表すことが出来ます。

私は実在しているのでしょうか、それとも実在していないのでしょうか。

観点の違いをこえる基準点

このままでは、「私は実在している側」と「私は実在していない側」で違いが生まれ観点の障壁は残ったままです。

この違いを超える基準点が、「自分と自分の宇宙が実在している」と「自分と自分の宇宙が実在していない」をイコールにさせる「源泉動き」(認識技術nTech)の基準点です。

この源泉動きから始まる仕組みを使うことによって、「自分と自分の宇宙が実在していない」世界から、どのように「自分と自分の宇宙が実在している」世界が生まれるのかを説明可能にしています。

つまり、観点の違いが無いところから、どのような観点も再現できる知見を誰もが持てることを意味しているのです。
これにより、違いは対立するものではなく、どちらが正しいと論じ合うものでもなく、完全に融合一致したところから、どのように違い(宇宙)をデザインするのかの材料になります。

ユニバーサルセンチュリー(普遍的世紀)の到来

現在、世界には西暦和暦が存在しています。 西暦はイエスキリストが生まれた年からの数え年であり、世界の標準暦となっています。和暦は日本が採用している令和ですね。

西暦となって2000年以上歩んできましたが、その歴史は人間と人間が争ってきた歴史でもありました。

しかし、観点の障壁を突破する源泉動きの基準点が一般化し、誰もが、観点の再現とデザインを行う時代となれば、それはもう、人類はひとつになれるという事実を普遍化し、協調し、一個の種として広大な宇宙と向き合うことが可能となる、普遍的世紀の始まりとなるでしょう。

人間が神の被造物とする契約から自由になり、人間が創造主として歩む暦の始まりです。

多くのSFや小説などで想像されてきたこの逸話が、現実になることが可能になるとは誰も想像してはいないことでしょう。

人間にはその創造力があります。

もちろんそれはあなたのことです。

創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です。与謝野晶子

まとめ

・メタバースは現実の人間関係とは異なり、地域や文化、国を越えた関係が得られます。想像を超えるような濃度の濃い関係構築が出来る世界です。
・不確かな情報であっても、人は信じ切ってしまうと、他の人の話を全く聞けなくなってしまいます。
・閉鎖的な環境の中では、自分が何をどう思い、どう感じるのか、自分にとって〇〇とは何かという認識が、簡単に書き換わってしまいます。
・人間関係において、五感覚で得られる情報ではそこに誰がいるのかを特定できなくなるため、五感覚の情報は意味を持たなくなります。
その代わり、内面と内面の出会いだけが人間関係をつくる要素となるのです。
・「人を愛することが出来るのか」という純粋な気持ちが重要となります。
・観点の障壁を越えることが出来れば、人と人とは無条件で協力し合うことが可能となります。
・観点の障壁を越えることが出来た時に、世界を動かすほどの力を発揮できると気付いたとしたら、様々な情報をどこから整理すればいいのかの基準点の必要性に気づくでしょう。
・「自分と自分の宇宙が実在している」と「自分と自分の宇宙が実在していない」をイコールにする基準点です。
・完全に融合一致したところから、どのように違い(宇宙)をデザインする材料になります。

メタバースが人間関係に与える未来はいかがだったでしょうか。 出来る限り、専門的な言葉は避けて表現してみました。

未来は必ず、観点と観点の障壁をどうすれば越えることが出来るのかという難題に誰もが出会うことになります。

解決できるコンテンツはすでに準備されています。 ぜひご参加ください。

源泉動き提唱者から直接聞けるセミナーが開催されます

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イベントは終了しました。

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