分かり合う時代をめざして

メタバースは人の尊厳を守れるのか -今必要な教育とは-

メタバースは人の尊厳を守れるのか
waku

メタバースが流行っているけど人間に対する影響ってどうなのかしら

Kuru

メタバースやその周辺の技術が進化を予測すると、必要な教育が見えてくるよ

メタバースの進化により人間の意識にどのよう変化が起こるのか。そのうえで今必要な教育とは何かを、現実とメタバースを対比しながら掘り下げます。

✓記事の内容

・メタバースとは
・意識はメタへと変化する!?
・未来から逆算したら見えてくる教育の在り方

目次

メタバースとは

最近いたるところで聞くようになったメタバースですが、実はその名前はSF小説から来たもので、明確な定義はまだないようです。

メタバースとはインターネット上のデジタル空間です。 多くの企業や技術者がチャレンジした結果、インターネット上で様々なコンテンや多くの人が参加できるデジタル仮想現実と言われています。

もうひとつデジタル空間にミラーワールドとという世界があります。米イェール大学の計算機科学者、デビッド・ゲランター氏が提唱した概念で、現実世界をデジタルに忠実に再現した世界を指しています。

今はメタバースとミラーワールドは別の世界となっています。今後技術が進化していけば、メタバース、ミラーワールド、現実が相互に交差する関係になるでしょう。

すでに多くの投資がメタバースに投入されニュースとなっています。 VRARブロックチェーンIOT技術もすさまじい進化を遂げている最中で、2024年には、私たちのライフスタイルの中に溶け込んでいるかもしれません。

メタバースと現実との注目すべき違いとは

「メタバースとは何か」「メタバースの未来」については、すでにネット上に多くの情報が上がってますので、ここでは、「メタバースと人の尊厳」という観点から考察していきたいと思います。

メタバースと現実の注目すべき違い

既得権益の存在

現実

現実の社会では、様々な格差が問題となっています。
ジェンダーや教育格差、経済格差や貧富の格差など、大きな社会問題となっているものもあります。
この格差は、資本主義のグローバル化によって拡大し続けた結果、私たちの生活は、常に金利の上下、物価の上下、税金やインフラの価格の変動にさらされるものとなりました。
この格差は、資本主義のグローバル化によって拡大し続けた結果生まれたもので、私たちの生活は、常に金利の上下、物価の上下、税金やインフラの価格の変動にさらされるものとなりました。

メタバース

メタバースには今のところ既得権益は存在していません。
当然、問題となる格差も目立ったものはありません。
メタバースの中では、現実のように大きな力を持って私たちに影響を与える権力は存在しません。
もしこの状況が続けば、大きな権力に支配されない世界となるでしょう。

既得権益がいないという状況は、実は奇跡的なことです。
貨幣経済が始まり、資本主義がグローバル化して以来、私たちは既得権益からの影響を受け続けてきました。

この影響とは、単にインフラを維持するものではなく、教育や医療、経済や物価など生きる上で欠かせない生活条件が、覇権争いに巻き込まれることを指しています。

現在もアメリカと中国の覇権戦争が起きています。そのために、コロナパンデミックや半導体不足などで世界的な連携が取れず、大きな悪影響が広がっています。

今のメタバースでは既得権益による大きな争いに巻き込まることはありません。 しかし、デジタル通貨と呼ばれるコンテンツではすでに国家間の火種が始まっています。
メタバースの中でも、既得権益による格差がまん延してしまうのでしょうか。

人と人の関係構築

現実

現実の関係性は、様々な要素が絡んできます。
容姿はもちろん、職業や収入、肩書、性別、身長、既婚未婚、清潔感や気づかいなどを意識してしまいます。
ちょっとしたしぐさに幻滅することもあれば、姿勢や話し方を魅力的に感じることもあります。
現実での人間関係は、純粋に人と人との出会いだけではない要素が複雑に絡み合っています。

メタバース

メタバースでは容姿や職業、清潔感などは自由に変えることが出来ます。
さらに技術が進めば、自分のアバターが現わすしぐさや声色、言葉遣いや方言などもAIが自動で補ってくれるようになるでしょう。どんな自分を表したいのかという要素だけでなく、自分が見ているメタバースの映像も、自分の好みに変えることも可能です。
そうなれば、いかようにも変えられる五感覚での出会いには意味がなくなります。
メタバースでの人間関係は、何をどう思い、どう感じ、どう考えるのか、私にとって〇〇とは何かという、内面と内面の出会いだけで関係を構築することになります。

メタバースが関係構築に与える影響は、私たちがどんな教育を受けてきたのかをあからさまに示すことになるでしょう。その刺激は、五感覚という受動的な情報で、相手や自分、世界を決めつけてしまう思い方をリフレッシュすることになりそうです。

人間は人を愛することが出来るのかを実証する実験

メタバースは人間が人間を愛せるかの実験の場

現実と尊厳

私たちが受けた教育では、「人が人を愛するにはどうすればいいのか」「相手や自分を深く理解するには何をすればいいのか」を教わることはありません。

「尊厳とは何か」「なぜ人は尊厳を毀損するのか」をテーマに交流することもありません。

そのために、分かってもらえないことに深く傷ついたり、我慢や苦しみを学びに変えられず、新しい傷をつくる連鎖が現実となっています。

私たちの現実は、「尊厳を毀損することが当たり前」の日常となっています。

メタバースと尊厳

メタバースの中では、現実の「人の尊厳を毀損して当たり前」とは真逆の「人の尊厳に確信を持った人々による創造」を理想とする空間となるでしょう。
様々な制限から解放され、人間関係が純粋な内面によるものになれば、安心を土台とした人間らしさを満喫する世界を誰もが望みます。

しかし、人間の内面や創造性が溢れる世界においても、人が人を愛することが出来ず、尊厳を毀損することを止められないとなれば、人間ほどつまらない存在はないと脳裏に刻むことになるかもしれません。

そうなれば、メタバースが進む先には、人間であることそのものがつまらないと感じる時代がやってきても不思議ではありません。

メタバースは、人間が人を愛することが出来るのかを実証する実験と言えます。

メタバースで人の意識はメタ認知へ変化する!?

技術の進化と意識の変化

メタバースや周辺技術の進化によって、人の意識はどんな変化が起きるでしょうか。

現在の技術では、人間の視覚と聴覚のみ再現することが出来ています。触覚は開発中の段階で、味覚や嗅覚には実用化には時間がかかりそうですが、電気信号を使って再現する可能性が示されています。

技術が進化した仮想現実では、五感覚で得られる情報はいくらでも代替え可能となり、意味を持たない単なる情報となります。 代わりに、自分が何をどう思い、どう感じるのかの解析が重要になります。
五感覚の受動的な感覚よりも、主体的に自らが何をどう解析するのかの感覚に重きを置く意識となるでしょう。

技術が進めば進むほど、仮想現実と現実との境界線があいまいになっていくことも合わせると、私たちの意識はメタ認知と呼ばれる、主体者意識へと向かうことになりそうです。

根本的な限界

経験的に積み重ねる機能的思考には限界があります。
認識した瞬間に、相対という「違いを超えられない限界」が生まれ、完全に意識を一致させることは出来ません。
これでは尊厳や愛も「違いを超えられない相対的なもの」となり、すべての人が尊厳に確信を持つことはできなくなります。
また、現実と仮想世界の境界線を明確に分ける事が出来なければ、認識の混乱によってメタバースへの引きこもりや中毒的な悪影響が生まれることも考えられます。

個人的には、メタバースサービスを提供している企業には、認識のバランスを整える研究や教育、プログラムの提供などをサービスと並列して提供する義務を負ってほしいと思っています。

未来から逆算して、必ず必要となる教育とは何か

メタバースとモルティングバースの対比

私たちが受けてきた教育は、多くの識者たちの経験に基づいた知見に対する学びです。

しかし、どんなに経験を積んでも、分かり合えない事象は起きてしまいます。 自分や他者の尊厳を傷つけ、不完全を否定することから自由になれません。 この教育体系では限界があります。

令和哲学者のNohJesu氏が提唱するモルティングバースという概念があります。

モルティングとは脱皮を意味し、モルティングバースは、相対的な自分と自分の宇宙のZERO化(0=∞=1)を再現する世界です。

メタバースが、無限を内包した宇宙と考えると、モルティングバースとメタバースは対比する関係にあります。

メタバースが帰納的な積み重ねで理解する世界だとすると、モルティングバースは演繹的な分岐で理解する世界です。 また、メタバースは様々な世界がバラバラに分離しているのに対し、モルティングバースではすべての世界が独自に機能していながら、すべてつながっている(心感覚)世界です。

未来から逆算して今必要な教育とは、相対世界である自分と自分の宇宙をZERO化させ、唯一完全に一致することが出来る絶対世界そのものに自分自身がなること。さらに相対世界と絶対世界を自由な行き来を可能とする教育です。 これを可能にするのがこのブログの基礎技術でもある認識技術nTechです。

宇宙の創り方をシェア出来てからが本番

私たちは共有する範囲の拡大してきた

共有する範囲の拡大

デジタル環境が当たり前となり、完成した製品が流通するプロダクトシェアの時代から、製品をつくるプロセスから共有するプロセスシェアの時代へとなりました。

さらにメタバースや周辺技術の進化により、人の意識はメタ認知・主体者意識へと移行していきます。

メタバースの世界にとどまらず、現実の世界においても、自分が世界のすべてをつくり出している感覚が当たり前となります。

ここに認識技術nTechが加わることで、完全に一致した基準点から、自分がどのような宇宙をつくり出しているのかを共有できる。また、相手が、どのように宇宙が無いところから有るように現わしているのかを共有できるようになります。

製品をつくる出発からすべてを共有できるクリエイティブシェアの時代です。

PU(パーソナル・ユニバース)

自分が宇宙をつくり出す感覚、宇宙が無いところから有るように現わしている感覚をPU(パーソナル・ユニバース)と呼んでいます。

PUにおいてのコミュニケーションとは、お互いの認識している世界を再現することになり、個人という存在に帰属するのではなく、創造する主体に帰属するようになります。

分かり合えないという事象は心を傷つけるものではなくなり、尊厳が毀損されることもなくなります。

人間が人間を傷つける時代は終わり、誰もが人間らしく創造性を発揮する時代へとなるでしょう。

メタバースが始まった今、「本当に人は人を愛することが出来るのか」「人と人とは分かり合うことが出来るのか」という問いを多くの方が意識することを願っています。

まとめ

・今のメタバースでは既得権益による大きな争いに巻き込まることはありません。しかし、デジタル通過と呼ばれるコンテンツではすでに国家間の火種が始まっています。メタバースの中でも、既得権益による格差がまん延してしまうのでしょうか。
・メタバースが進む先には、人間であることそのものがつまらないと感じる時代がやってきても不思議ではありません。
・技術が進めば進むほど、仮想現実と現実との境界線があいまいになっていくことも合わせると、私たちの意識はメタ認知と呼ばれる、創造主感覚へと向かうことになりそうです。
・認識した瞬間に、相対という「違いを超えられない限界」が生まれ、完全に意識を一致させることは出来ません。これでは尊厳や愛も「違いを超えられない相対的なもの」となり、すべての人が尊厳に確信を持つことはできなくなります。
・未来から逆算して今必要な教育とは、相対世界である自分と自分の宇宙をZERO化させ、唯一完全に一致知ることが出来る絶対世界そのものに自分自身がなること。さらに相対世界と絶対世界を自由に行き来する教育です。

今回、メタバースと人の尊厳という観点で記事を書いてみました。

間違いなく時代は大きな転換点を迎えています。 人間が人間の尊厳を傷つける時代が続くのか、それとも終わらせることが出来るのか。 そんな問いを持った教育がブームになる日を早く起こしていきたいと思います。

今後も、ONECYCLE7に応援お願いします。

モルティングバースが提唱者から直接聞けるセミナーが開催されます

3月23日に第3弾のNohJesu nTech マスター1Dayが開催されます。

そこでは、相対世界である自分と自分の宇宙をZERO化させ、唯一完全に一致知ることが出来る絶対世界そのものに自分自身がなること。さらに相対世界と絶対世界を自由に行き来する認識技術nTechの内容はもちろん、モルティングバースやブロックチェーンの秘密もお伝えします。

ぜひ、お誘いあわせの上ご参加ください。

NohJesuマスター1day

イベントは終了しました。

メタバースは人の尊厳を守れるのか

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