自己否定は苦しみしか生み出さないのかしら
実は否定はいろんな側面を持っているのよ
当たり前のようにしている自己否定。その否定を深堀りすると意外な発見があります。否定とは何かを掘り下げます。
・否定とは何か
・自分を否定出来る能力とは
・圧倒的に不足しているのは実践哲学
否定とは何か 否定の様々な側面
誰もがおちいりがちな自己否定ですが、そもそも否定とは何かについて、深堀りする機会はなかなかありません。
否定することは悪いことと決めつけてはいないでしょうか。 否定するとはどういうことなのかを、いくつかの観点から考察してみたいと思います。
人類は否定することで進化してきた
ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリ著の「サピエンス全史」では、なぜ私たちの祖先であるホモ・サピエンスは、他の人種が消えていく中で生き残れたのかについて触れています。その答えは「虚構」という認知革命が起き、協力できる人数に限界がなくなったからだと語られています。
より生活しやすい方向を示すには、どんな情報を選択するのかが重要になってきます。 虚構の中で情報を意図的に選択するときに生じるのが、否定と肯定です。
さらに時代は農業革命から産業革命、IT革命へと進みますが、技術の進化とは、選択する判断基準の進化と言えます。
これまでの判断基準を否定し、新たな判断基準へ移行して進化してきたと考えると、人類は今までを否定することで進化を具現化してきたと言えます。
否定と肯定の表裏一体
否定と肯定は表裏一体です。否定が無くなってしまえば、相対的な肯定も消えてしまいます。
否定だけを無くして肯定だけを得ることは出来ません。
否定の無い肯定は、肯定しようとする中身が無い、肯定という名前を付けるだけの行為とも言えます。
肯定とは、否定を選択せず肯定する判断基準があるから価値があると言えます。 逆に否定とは、肯定を選択せずに否定する判断基準があるから価値があると言えます。
そして、否定もしくは肯定を選択することは、世界を現わす意味のあることと言えます。
何かを選択することは何かを喪失すること
無数に選択肢がある中で何かを選択するということは、他の選択可能な世界を喪失するということです。
もちろん、新たに選択し直せば他の世界を再創造する事も出来ますが、その時も、選択した世界以外は喪失することになります。
否定という言葉を用いるなら、他の世界を否定するからこそ唯一の世界を現わすことが出来るとなります。
どんな世界を現わしたいのかの意思が強いほど否定も強くなります。
ハッキリとした否定には、どんな世界を現わそうとするのかの意図が隠れていることになります。
自分を否定可能にする能力
否定することは、進化や自分の描く世界を現わすために必要不可欠であり、何を否定するのかの中身が重要であることを見てきました。
では自分を否定するということはどういうことなのかを見ていきたいと思います。
自己否定の隠れた創造性
自分を肯定できたり否定したりすると、心が上がったり下がったりしてしまいます。
心が人間の中心だとすると、その心が変わることで、世界が絶望になったり幸せになったりします。
創造性と聞くと、対象を編集・デザインしたり、生み出したりすることを指しますが、心を創造するのとは次元が異なります。
心の変化は、その心がつくりだす世界の全てに影響を与えます。 それに対して、対象への創造はあくまで部分の世界です。
人間には、自分の中心を創造する力があり、世界のすべてを変える創造性が備わっています。
自己否定によって重く沈んだり、世界に絶望した悲観ばかりに着目しがちですが、その裏には明らかに次元の違う創造性が隠れているのです。
逆に言えば、それほどの創造性が発揮された結果が、自己否定の後の世界すべてに悲観を感じる景色だと言えます。
受動的な自己否定と主体的な自己否定
私を実感することができるのは今この瞬間だけです。
過去の私も未来の私も、今この瞬間の私が解析した結果でしかありません。
今の私が落ち込んでいれば、過去や未来もドンヨリしてしまいます。逆に今の私が最高にハッピーであれば、過去も未来も明るく映っているはずです。
今この瞬間の自分を否定することは、まったく新しい自分になることを示しています。
新しい自分になれば、新しい世界を描くことが出来ます。
自分の解析(考え、感情、イメージ)に振り回されたり、人間関係に心が沈んだりと受動的な自己否定ではなく、主体的に意図した自己否定は、今この瞬間の自分自身を超えていくために使うものだと言えます。
自己否定するようになっているのはなぜ
「【自己否定深堀り①】なぜ人間は自己否定するのか 自己否定の仕組みを紐解く」では、脳の認識構造が自己否定の原因であるとお伝えしました。
自分の意思に関係なく、脳が勝手に自己否定するようになっていることを示しています。
脳の振る舞いに対して受動的な自己否定は苦しみを生み出しますが、脳の認識構造が自己否定の仕組みを持っている事、そして否定そのものは進化するために必要な要素であるとの観点に立つと、私たちが自己否定をするようになっていることは、常に新たな自分と自分の世界を創造するために起こることだと言えます。(自分と自分の世界の進化を促している)
脳の仕組みの理解が無ければ、脳が勝手にやってしまう振る舞いに受動的になってしまいます。 すると、決め付けや思い込みに固定した生き方は避けられません。
自己否定の本来の役割は、自分という存在に対する否定ではなく、自分の観点に固定することへの否定だと言えます。
正しく自己否定を機能させることが出来れば、人間関係はもちろん、うつや自殺、イジメや誹謗中傷などにはまり込まない自分自身を持続できるはずです。
圧倒的に不足している実践哲学
日頃、たくさんの情報と接しているにもかかわらず、否定とは何かについてなかなか深める機会はありません。
また、多くの人が自己否定で苦しんでいるにもかかわらず、自分を否定するという概念は、人を苦しませるという側面に固定しているようにも感じます。
今回の記事で否定について深堀りしたことで、改めて一つの単語にはいくつもの側面があることがみえてきました。
ブログでは一方的に私が描いた世界をお伝えするしか出来ませんが、交流することが出来れば、さらに否定という言語の世界は広がっていくでしょう。
このように多様な側面を考え、生き方に反映させることを実践哲学と呼びます。
残念ながら日本には、考えを深める機会や学ぶ場が圧倒的に少ないように思います。 これでは、受動的な自己否定や主体的な自己否定という考えに気付くのは難しいでしょう。
今回のように、そもそも「○○とは何か」「私にとって〇〇とは何か」の問いを持つことはいつでも可能です。少しずつでもその問いに答えていけば、自分でも驚くような新しい世界を見ることが出来ます。
このブログがその一助となれば幸いです。
重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。
間違った問いに対する正しい答えほど、危険とはいえないまでも役に立たないものはない。ピータードラッガー
まとめ
今回は否定とはそもそも何かについて深堀りしました。
ずっと苦しんできた自己否定も、観点が変われば、その奥に意外な世界が見えてきます。 あらゆるものは観点が変わることでその景色は変わります。
私たちが見ている世界はほんの一部にしかすぎません。 もちろん自分自身に対しても同じことが言えます。
共にその世界を広げていけたらと思います。