分かり合うって本当に難しいわ!
分かり合うって不幸の落とし穴があるから気を付けないと!
分かり合うを、相手が分かってくれているかどうかだと、振り回されてしまいます。でも私達は幸せになるには分かり合う事が必要だと思っています。分かり合うって何?を掘り下げます。
- 相手が理解してくれたら、分かり合えたと思っていませんか?
- 脳は一部しか理解できないので、都合よく分かり合うことは難しい
- 相手に期待しない、新しい分かり合う基準とは
相手が理解してくれたら、分かり合えたと思っていませんか?
『分かり合えたら、ハッピーエンド』『分かり合えなければ、バッドエンド』そんな方程式が頭の中に組み込まれていないでしょうか。
これは、テレビドラマや映画、小説、漫画などで何度も何度も刷り込まれた結果なのかもしれません。
確かに、身近な人と分かり合えればうれしいですし、分かり合えなければ悲しくなります。
でも、相手が分かってくれる基準で関係性をつくってしまうと、自然と周りの顔色を気にし、相手に合わせ、我慢することになってしまいます。
これでは、相手に振り回されてしまい、とても幸せな結果は生み出せそうにありません。
そもそも私たちが理解できることはごく一部
自分の気持ちでさえ、言語化できないことの方が多い
「分かってもらえない」と悲しくなってしまいますが、では自分のことは理解していますか?と聞かれると、その内容に怪しくなる人は多いのではないでしょうか。
自分の気持ちの全てを言語化するのは、意外と難しいものです。相手に伝わるのかとなれば、さらに難しくなります。
相手以上に自分のことを理解し、言語化できなければ、相手が自分を理解してくれるはずもありません。
脳は一部だけしか認識できていない
私たちの脳は、そもそも部分的な情報しか認識することが出来ません。
- 正面に集中しているときは、背後の情報を認識することは出来ません。
- 視覚の情報を音で認識することは出来ません。
- 不快な仕草をする人を見ると、それだけで嫌いな人だとすべてを決めつけてしまいます。
- 仕事でミスをすれば一日が憂鬱になってしまいます。
脳は部分情報だけで、存在や現象の全てを決めつけてしまいます。
私達が理解することすべては、脳が認識した情報をベースで行われます。
脳が理解するのは一部だけなのですから、相手が理解する世界も、自分が理解する世界も部分的になるのは避けられません。
分かってもらえることの安心感は大きい
一部だけしか理解できないとしても、分かってほしい気持ちは生まれる
ここまで、分かってもらうことの難しさをお伝えしましたが、とはいっても、分かってもらえることの安心感は大きなものです。
理解してもらえるのは一部分だとしても、ついつい安心感を得るために、「分かってもらいたい」「理解してほしい」という気持ちは生まれてしまいます。
これは、分かってもらえるかどうかで、自分の存在の確認を行っているからです。
私達は誰もが不完全性に反応してしまう
私たちは、自分の不完全さを意識してしまうと、自分という存在を確認しようとします。 自己存在の不安・危機に敏感に反応するためです。
自分の存在を確認するために即効性のある手段が、他者からの承認です。
認めてもらえると容易に自己存在が確認できます。この方法だけに頼ってしまうと、不安を感じる度に「分かってほしい」と相手に要求することになります。
気を付けるべきは安心感への依存や期待
自己存在の不安・危機を補い安心感を得るために、相手に理解を求めてしまいますが、脳は一部しか理解できないので、都合よく理解してもらえません。
私達はこの深いジレンマを持っています。
ここで気を付けたいのは、安心感を得るために、分かってもらうことに依存したり、期待することです。
依存や期待が強くなるほど、心のダメージも大きくなります。
求めれば求めるほど、私は分かってもらえないんだという現実に直面することになります。
不幸の落とし穴です。
分かり合う新基準
思い込みの幸せにしがみつかない幸せの分岐点
相手が理解してくれることは期待すべきではありません。しかし、自己存在の不安を解消するために、相手に理解を求めてしまうのはすぐには止められません。
しっかりとトレーニングすれば、相手に理解を求めようとする条件反射的な不安を根本的に消すことはできます。
ブログを読んでいただいたあなたには、トレーニングする前に、思い込みの幸せにしがみつかなくていい人生の分岐点をお伝えします。
変えるのは相手に求めること
変えるべきなのは、理解を相手に求めることです。 相手に理解を求めるのではなく、理解の出発点を自分に置くようにしましょう。
これまでは、理解を求めていました。 これは、理解してもらえたかどうかの結果を意識しています。
理解の出発点とは、常に自分が理解しようとすることを指します。
- 自分は理解しようとしているのか
- 自分が理解したことは何か
- 自分は何を理解すべきなのか
相手に求めても自分の思い通りにはなりません。しかし、自分が何を意識するのかはコントロールできます。
分かり合う新基準はこれ!
これまでは、「自分が分かってほしいこと」と「相手が分かってくれたこと」が一致指定かどうかが重要でした。
新基準は、理解の出発を自分に置き、「自分が相手をどのように理解したのか」と「自分の心はどのように感じているのかを理解する」を一致させましょう。
前者を一致させるのは宝くじを当てるようなものですが、後者の新基準で取り組む分かり合うは、自らが意図して一致させることができます。
脳は自分が理解した世界しか見ることができない
私達は、自分が理解した世界しか見ることはできません。
自分の勝手な思い込みなのに、深く傷ついたり喜んだりするのはそのためです。
だからこそ、自らの意図による理解が重要になります。
これが使えるようになるだけで、人生の分岐点と呼べるきっかけを手にすることができるでしょう。
まとめ
相手が分かってくれるのを規定しても、都合よく分かり合うことは難しいことをお伝えしました。
古い基準の分かり合うのではなく、自分出発の分かり合うを始めていきましょう。
一緒に乗り越えていきましょう!