分かり合う時代をめざして

【いじめのとりせつ①】日本のいじめの現状と個人的経験

日本のいじめの現状
waku

いじめダメゼッタイ

Kuru

いじめのとりせつと題して、いじめについて深堀りしていきます

いじめのとりせつです。いじめをなくすために必要なことを記事として書いていこうと思っています。まず1回目は、日本のいじめの現状と取り組みについてまとめました。私自身のいじめの経験も少し紹介します。

✓記事の内容

・日本のいじめの定義
・悲惨ないじめが定義を変えていった
・日本のいじめの取り組み一覧

目次

現在の日本のいじめの定義

現在の日本では、2013年(平成25年)6月に「いじめ防止対策推進法」が施行され、その法律の中でいじめが定義されています。

いじめとは、

児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。

とされています。

シンプルに表現しなおすと、

心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)によって、児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。

と言えます。 子どもが苦痛を感じていれば、それはいじめと認定されることを示しています。

いじめの定義の変遷

日本におけるいじめの定義は、4度の変更を経て現在に至っています。
それぞれのいじめの定義とポイントをまとめました。

(参照:文部科学省 いじめの定義) 

1度目1986年(昭和61年)

1.自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加えている
2.相手が深刻な苦痛を感じている
3.学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認している

1度目の特徴は、学校が確認をしたものをいじめと認めている点です。

2度目1994年(平成6年)

1.自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加えている
2.相手が深刻な苦痛を感じている 3.個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行う

2度目の規定では、学校が判断するのではなく、いじめられた児童の声を大事にする方向へ変わっています。

3度目2006年(平成18年)

1.個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行う
2.いじめとは、当該児童生徒が、一定の人間関係にある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているものとする

3度目の規定では、いじめであるのかそうでないのかを誰かが判断するものから、精神的苦痛を感じているのであればいじめとするに変わりました。

現在の4度目2013年(平成25年)

1.心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)によって、児童生徒が心身の苦痛を感じているもの

最も大きな点は、「いじめ防止基本方針」が法律として制定されたことです。これにより、法に基づいた状況の把握や検証が行われることになりました。

1回目から3回目は、文部科学省が定義しただけで、あとは教育委員会や学校におまかせだったことを考えると、これ前とは異なる大きな変化と言えます。

悲惨ないじめが明らかになることで変わってきた定義

4度変わってきたいじめの定義ですが、定義が変わったきっかけは、実は悲惨ないじめが明らかになったことによります。

全てにおいて、いじめによる自殺がマスメディアによって大きく報道され、世論の注目を集めた結果、定義が見直されてきました。

児童へのいじめをなくす教育も必要ですが、学校や大人側の尊厳に対する姿勢態度も大きな問題を抱えているように感じます。

誰かの命が失われ、明るみにならないと見直されない姿勢態度ではなく、「尊厳を守るにはどうすればいいのか」「本当に今の在り方で尊厳を守ることが出来るのか」を、随時、問える大人で在り続ける必要があるように思います。

その戒めも込めて、いじめの規定に影響を与えた事件を紹介します。

1986年東京都の中学校で起きたいじめ自殺

いじめの定義がはじめて行われた1986年には、1986年の東京都の中学校で起きたいじめ自殺があります。
自殺した生徒が残した遺書や担任と同級生が行った葬式ごっこが明るみになった事件です。
「いじめられる理由があるから」という論調から「いじめを否定する」世論が形成されるきっかけとなりました。

1994年愛知県の中学校で起きたいじめ自殺

2回目のいじめの定義が行われた1994年には、愛知県の中学校のいじめ自殺が起きています。
遺書により、恐喝・強要・傷害等が明らかになり、「いじめられる側も悪い」のではなく、「いじめは絶対に悪い」という世論が決定づけられます。

2005年北海道の小学校の教室で起きたいじめ自殺

3回目のいじめの定義が行われた前年の2005年には、北海道の小学校の教室でいじめ自殺が起きました。
教室での自殺という衝撃的な事件にもかかわらず、7通もの遺書が遺族によって明るみにされるまで、学校や教育委員会がいじめを認めなかった、隠蔽体質が大きな問題となりました。

2011年滋賀県の中学校で起きた飛び降り自殺

4回目のいじめ防止対策推進法が制定されるきっかけとなったのは、2011年滋賀県の中学校で起きた、飛び降り自殺です。
壮絶ないじめの実体が明らかになり、学校が警察から強制捜査を受け、社会の大きな注目を集めました。
学校と教育委員会の隠ぺい体質も発覚し、大きく報道されました。

日本のいじめの現状

文部科学省は、毎年「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(以下「問題行動等調査」)の結果を発表しています。

日本におけるいじめの件数や不登校、重大事件についてのデータが報告されています。

いじめ認知件数

データを見ると、いじめの認知件数は2019年(令和1年)までに急上昇し、その後、減少しています。
文部科学省によると、2020年(令和2年)の減少は、新型コロナウイルス感染拡大による一斉休校で授業日数が減り、部活動が制限されるなど児童生徒間のコミュニケーションが減少したためとされています。

2012年に急増したのは、2011年の滋賀県の中学校で起きた飛び降り自殺をきっかけに、学校と教育委員会の隠ぺいが大きく報道され、SNSの普及と合わせて、実体を明らかにするべきという社会が形成されたことが大きな要因です。

いじめを認知した学校の件数

問題行動等調査では、いじめを認知した学校の件数が調査されています。

2014年(平成26年)から調査が義務化され、認知が0の学校に対しても認知漏れが無いかを検証する仕組みがあるようです。

小学校、中学校、高校ともに前年よりも減少しています。コロナの影響ですね。

このような調査がされていたことをはじめて知りましたが、驚きました。 学校や教育委員会の隠ぺいに対する対策が具体的に見て取れると、ひとつ安心しますね。

日本のいじめの取り組み

ここからは、日本のいじめの取り組みを紹介します。

紹介するのは、国の取り組み、民間の取り組みの一部です。他にも、自治体や個人、NPOなどで活動されている方々もいます。ご自身の地域での取り組みも、一度、調べてみるとよいかもしれません。

国の取り組み

文部科学省、法務省ともに、いじめに対する取り組みを掲載しています。 文部科学省は主に学校教育関係の大人向け。法務省は子ども向けの情報を発信しています。

いじめのサイン発見シート

子どものあれっもしかして…というサインを確認しやすいチェックシートにまとめたものです。 各学校にも文部科学省から通知されています。

子供こどものSOSの相談窓口

24時間通話無料でSOSダイヤルが開設されています。
0120-0-78310

18歳以下チャットボット相談窓口

人に言えない悩みを抜け出すための相談窓口です。

孤独・孤立対策担当室

いくつかの質問に答えることで約150の支援制度を紹介しているチャットボットです。

民間の取り組み

起業やNPO、任意団体のいじめへと取り組みをご紹介します。

スクールガーディアン

子どもたちが健全にインターネットを活用できる環境を目指してネットパトロールや通報アプリ、ネットリテラシー講座などを行っています。

ダイヤル・サービス

企業・自治体の「コンプライアンス」「ハラスメント」「メンタルヘルス」など、CSR/EAPに対する相談窓口のアウトソーシングを提供しています。

子ども110番

ダイヤル・サービスが提供しています。友だちや家族のこと、勉強や進路、恋愛、日常生活のことなどを相談できます。

スタンドバイ

教育機関向け、企業向けに、助けたいとき、助けてほしいとき、いつでもどこでも報告・相談できる環境をつくるサービスを提供しています。

チャイルドライン

特定非営利活動法人チャイルドライン支援センター。 18歳までの子どものための相談先です。

日本弁護士連合会

さまざまな委員会を設置して人権擁護活動を行っています。

LINE

全国の小中学校及び高等学校における児童生徒や保護者、教職員を対象としたインターネットリテラシーなどの啓発を目的としたLINEワークショップなどの講演活動を行っています。

わたしの経験

最後に、私自身の経験も少しお話したいと思います。

幼稚園児から高校生まで続いた”からかい”

幼児期の頃は、感情がうまくコントロールできない子どもでした。

トランプで負けただけで涙が出たり、ちょっかいをだされると過敏に反応したりと、”からかい”やすかった子どもだったように思います。

それもあり、幼稚園児のころにはすでに”からかい”の対象になっていました。 からかいは、高校まで続きます。

私が受けたいじめは、どちらかといえば陰湿なものよりも、肉体的ないじめが多かった印象です。 中学校でポケベルが登場した世代なので、今のSNSのような陰湿さを助長する環境に身を置くこともありませんでした。

今と比べれば直接的なものが多かったように思います。

いじめが人生に与えた影響

どんないじめであれ尊厳に深い傷をつけます。 私の場合も深い傷となりました。

いじめられた自分

高校から進学し、大学1年生で何をしようかと考えた時に、「いじめられていた自分はどこまで出来る可能性を持っているのだろうか」「どうせなら、思い切り自分を試してみたい」と、バドミントンに熱中し、身体を壊すほど没頭します。

その経験もあって、社会人になる頃には、「いじめられた自分」は完全に払しょくできていたと思っていました。

社会人になって思い出したこと

会社の同僚と仕事中に、たまたまいじめの話になり、それぞれの経験談を話していました。

「自分もこんな経験をしたんです…」と話を切り出したものの、思い出せず話せません。

おかしいなと、ひとりで立ち作業中に、「あの人からこんなことされた」「あいつからはあれをされた」と1人ずつ、ひとつずつ記憶を手繰り寄せるように思い出していました。 すると何かがふっと心の奥から出てきたのです。

ふいに、涙が止まらなく溢れ出します。 そのうち、手が震えだし、足に力が入らず、地面にしりもちをついてしまいました。

意識はハッキリとしているのに、身体がいうことをきかないのです。

だんだんと気持ちがザワツキはじめ、これは何かおかしいと、心から出てきた何かを押し戻そうとします。それは真っ黒くうごめいていました。

なんとか押し戻すと、すぅーと涙も止まり、身体の震えも止まります。

何が起きたのかと、中断した仕事を整えつつ、頭の中を整理します。

心からふっと出てきた真っ黒い塊は、いじめられていた時に感じていた感情だったんだと気付いたのです。 憎しみ、屈辱、殺意、恥ずかしさ、後悔、怒り、、当時感じていた感情が黒い塊となっていました。

モンスター

感情の黒い塊をモンスターと名付けました。

仕事中に出てきたモンスターは、その姿のほんの一部だけです。 一部だけであんなにも、身体が動けなくなってしまったことに、とても恐怖を感じてしまいます。

モンスターがすべて出てきてしまったら、自分が自分ではなくなってしまう。 自分が何をするのか分からない。人を傷つけてしまうかもしれない。どうしたらいいのかと、一週間ずっと悩み続けてしまいました。

悩み続けて、「こんな自分だからこそ、何か役に立てるのかもしれない」 そんな一時的な答えに気付き、とりあえず落ち着きを取り戻します。

その後は、誰にも相談できないまま、”とりあえず生きている”時間を過ごしていました。 転機が訪れたのが、このブログの基礎力になっている、認識技術nTechとの出会いです。

現在は、モンスターは完全に解決し、自分の生き方を100%歩めています。

同じような感情の塊をお持ちの方が少なからずいらっしゃることを知っています。 私の場合はいじめでしたが、尊厳がボロボロに傷つけられた経験は、人生に大きな影響を与えてしまいます。

余談 自己否定という言葉

少し余談ですが、社会人になり数年たって人の育成に関わるようになります。 その時に初めて「自己否定」という言葉を知りました。

知った当初は、冗談だと思っていました。 実際に自己否定の現場を見て、本当に人は自己否定をするのだと、衝撃を受けたことがあります。

なぜ自己否定という言葉自体を知らなかったのかというと。

私の場合は、「自分で自分を守らなければ、誰も守ってくれない」「最後は自分で自分を守るもの」という思い込みが強かったと、理解しています。

自分で自分を否定したら誰が自分を守ってくれるのかと、自己否定という言葉を知った時に思ったくらいです。

このエピソードも、いじめを受けたことによるものだと言えます。

今だから思うこと

いじめがなぜ起きるのかを理解する前は、元当事者として、思うこと感じることは沢山ありました。

・いじめられる側にも問題があるという発言
・いじめを隠ぺいする大人側の姿勢態度
・何が起きたのかではなく「いじめ」と認定するかしないか
・子どもの壮絶な死が明らかにならないと変わらない尊厳への認識
・いじめ加害者に対して行われる社会的制裁
・マスメディアの報道によって連鎖する自殺

あらゆる情報の連鎖が、いじめを無くす方向へ向かっていない。むしろ、誰かが誰かをいじめる連鎖が続いているだけ。いじめは人間がいる限り無くならない。

そんな風に感じていました。

しかし、今は、いじめがどのように起きるのか。人はなぜいじめてしまうのかについて、理解が出来ています。

これはいじめという現象の話ではなく、尊厳をどう理解し接するのかという、尊厳の話だと考えています。

現在のいじめの定義について

現在のいじめの定義については違和感を感じています。

まずは現在のいじめの定義を再掲します。

児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。

違和感を感じているところは2点。

1.「当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う」

シンプルに表現しなおすと、「同じ学校の生徒が行う」となります。
「別の学校の生徒による行為」や「先生やその他の人間による行為」は除かれています。

2.「心理的又は物理的な影響を与える行為」

いじめを現象的なものとしてとらえています。 これでは、行為が行われてからしか対応が出来ませんし、児童生徒が苦痛を感じていないと報告すれば、いじめではないと判断されてしまいます。
これでは、いじめを根本からなくすことは出来ないのではないかと感じます。

いじめる行為が行われる前から対応する必要があります。さらに、誰もが当事者であるという意識が必要ではないかと思います。

以降の記事を通して、いじめと尊厳について深堀りしていきたいと思います。

自分のための時間を設けることが大切です。他の誰よりも、自分との関係性を築くことが大事なのですから。ダイアン・フォン・ファステンバーグ

まとめ

今回は、日本のいじめの現状と私自身の経験をお伝えしました。

今回のいじめのとりせつシリーズが、現在、いじめの当事者や後遺症で苦しんでいる方が少しでも快方へ進めばと思っています。

次回は、なぜいじめが起きるのかについて、これまで語られていない内容をお伝えしたいと思います。

ありがとうございました。

日本のいじめの現状

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

SHARE
目次