分かり合う時代をめざして

【いじめのとりせつ③】いじめをなくすために いじめに対して変わるべき常識

いじめをなくすために
waku

いじめはなくせるのかしら

Kuru

なくせるよ、ただし常識を大きく変える必要があるの

いじめをなくすためには、私たちの常識が大きく変わる必要があります。これからの時代、尊厳に関心が集まりやすくなります。尊厳をどう守るのか補うのかのを知らない状態では、いじめはなくなるどころか加速するでしょう。いじめをなすくために変えるべきことを深堀りします。

✓記事の内容

・いじめが生まれる心理
・変わるべき常識とは
・いじめはなくせるのか

目次

時代は尊厳を裸にする方向へ進んでいる!?

前回の記事「【いじめのとりせつ②】いじめはなぜ起きるのか いじめが起きる仕組み」で、いじめの原因は脳の認識構造にあることをお伝えしました。 認識構造の働きによって、自己存在に確信が持てず、自らの尊厳の喪失を補う手段としていじめが生まれています。

これからの時代は、自己確信や尊厳の喪失がより刺激される機会が多くなります。 多くの人が尊厳の不完全性を感じやすく、補う手段を強く求める傾向が強くなるでしょう。

そのキーワードが、多様性、メタバース、シンギュラリティです。

多様性・ジェンダー

ご存知のように、性の多様化やジェンダーの理解が進み、性別は男性と女性の区別だけではなくなりました。 性は個人のアイデンティティと直結する要素です。

性の多様性だけではなく、あらゆる多様性が受け入れやすくなることで、自らのアイデンティティに興味関心を持つ機会が増えています。

自らのアイデンティティを明らかにするには、他者との違いを明らかにする必要があります。この違いに対しては同時に、「分かってもらえない」「同じ人がいない」「自分が分からない」という孤独が付きまといます。

孤独を解決する方向が見つからない場合、尊厳の喪失を実感しやすく、我慢や内面へのひきこもり、そしていじめへと発展します。

メタバース

メタバースは、「メタバースがもたらす人間関係の未来 -観点の障壁を越えられるのか-」でご紹介した通り、内面と内面の出会いが強調される世界です。

これまで、私たちは五感覚からの情報を通して人間関係をつくってきました。しかし、デジタルの世界では、解析(考え、感情、イメージ)で関係をつくることになります。

そのような教育は日本では誰も受けていません。自分や相手の考え感情をどのように把握するのか、どう言語化するのか、伝わらない時はどうするのか、すべて手探りで行うことになります。

メタバースの空間は、経験したことのないことばかりであると同時に、自分自身の不完全さを実感しやすい空間でもあります。

人は自分の不完全さを相手によって補おうとしますが、そこには自己存在を喪失する不安恐怖が隠れています。

自己存在の不安恐怖を解決する学びが得られなければ、自分よりも低い尊厳をつくりだしてしまうのは時間の問題です。

シンギュラリティ

シンギュラリティとは、発明家のレイ・カーツワイル氏が語った技術的特異点を指しています。AIが「人間の知能を大幅に凌駕する」ことが予測され、その日が2045年にやってくると言われています。

シンギュラリティ後の世界は、人間が行えるすべてをAIが行えるようになります。人間の代行者としてのAIの登場は、人間の存在意義の揺るがすことになるでしょう。

これまでは、人間以上に創造性をもつ存在はいませんでした。それが人間の存在意義でもありました。しかし、AIの登場でその存在意義が失われてしまえば、人間が人間である理由を失うことになります。

AIよりも低い尊厳である自分を実感するのは避けられない問題かもしれません。

いじめが生まれる心理

どんな時代でも、人間をいじめるのは人間です。 人間はどのようなから心理から、人をいじめるようになるのでしょうか。

いじめる心理を観察すると、いくつかの条件がみえてきます。
いじめの心理を明らかにすることで、いじめをなくすために何を変えるべきかを探ることが出来ます。

個人の力だけで状況を変えることや、いじめをなくすことはとても難しいことが分かります。

・自分のことを自分で決められない
・哲学的思考の欠如
・自分の尊厳の喪失を他者で補なおうとする
・自己存在の喪失への不安恐怖

自分のことを自分で決められない

自分のことを決定出来るのは唯一自分だけです。

しかし、その教育がないために多くの人が自分のことを自分で決められず、他者の意見や不完全な現象によって自己存在を決定しています。

「認められない私」「愛されない私」「自分の意見が言えない私」「結果を生み出せない私」など「現象+私」と自己存在として認識している状態では、心は安定せず、常に振り回されてばかりです。

哲学的思考の欠如

普段の思考が存在や現象を前提とする考え方なのに対して、哲学的思考とは本質を探る思考を指します。

「いじめをどう解決するのか」「いじめをなくすにはどうするのか」は、いじめという現象やいじめる側、いじめられる側という存在がいることを前提とした考え方です。
「いじめとは何か」「何がいじめを生み出すのか」は、いじめそのものをどう認識すべきかを理解しようとする考え方です。

存在現象的に考え始めてしまうと、現象の確認や存在へ気を配りながら対応しなければならず、学びが始まるまでに時間がかかります。哲学的思考では、いじめとは何かを認識するところから始め、自らの学びに変える取り組みをすぐにでも行うことが出来ます。

自分の尊厳の喪失を他者で補なおうとする

人類歴史の中でプロパガンダや国の統治に度々使われてきた手段です。 身分制度や選民思想など、簡単に人を誘導することができるため、集団が形成されると現れやすい特徴があります。

自己尊厳よりも低い尊厳をつくることで、簡単に自己尊厳が補えたように感じてしまうため継続しやすく、その根本である尊厳の喪失に対する不安恐怖が消えない限り、完全になくなることはありません。

自己尊厳を補うには、唯一、自分の尊厳と対話するしかありません。

自己尊厳の喪失への不安恐怖

脳の認識構造によって誰もが、自分という存在や尊厳が喪失することへの不安恐怖と隣り合わせにいます。

自分の居場所があるのかや自分を認めてもらえるのか、受け入れてもらえるのかは、私たちにとっては大きなストレス要因です。 誰からも必要とされない不安恐怖は、深く傷つくため衝動的に避けようとします。この時、多くの人が深く考えることは出来ません。

個人で立ち向かわざるを得ない状況にいる人は、自分を否定するか、相手を否定するかの単純な選択に走りやすくなります。

変わるべき常識

いじめがなくなるために変わるべき常識があります。

無くすべきものだと分かっているのに持続してしまうのは、当然だと思っている追い込みが深く関係しています。

ここでは、4つの変わるべき常識を紹介します。
まずは当事者が属する共同体から、そして社会の常識が変わっていく必要があります。

自分の尊厳を守るのは自分、傷つけるのも自分

自分の尊厳を傷つけるのは自分です。他者や様々な現象はきっかけでしかありません。 最終的に、自分自身を決めつけるのは自分しかいません。

自分以外によって尊厳が傷ついてしまうことを前提としている限り、自らの尊厳を守ることも傷つくことを防ぐこともできません。

逆に、自分自身のことをしっかりと自分で決めることが出来れば、他者に振り回されることはなくなります。

脳の認識構造が原因

「【いじめのとりせつ②】いじめはなぜ起きるのか いじめが起きる仕組み」でもお伝えしたように、いじめの原因は認識構造にあります。個人の性格や育った環境は、直接の原因ではありません。

認識構造を原因とすることで、誰もがその原因を持っていることになります。

認識構造の理解が深まることで、これまでの人生で感じてきた、尊厳の不完全さや傷ついてきたことを理解することができ、これからの自分の生き方への学びへと変えることが出来ます。

いじめは尊厳を補う手段の一部でしかない

現在の日本のいじめの定義は、いじめという現象についてのみを対象としています。 しかし、認識構造から考えるといじめは、尊厳を補う手段のひとつでしかないことが分かります。

いじめという現象を無くそうという取り組みでは、いじめはなくなりません。

尊厳の喪失を補おうとする手段を教育することで、我慢や内面に引きこもり、いじめを減らし、新たな学びへと変えることが出来ます。

いじめは個人の問題ではなく人類共通の問題

これまでいじめは個人の問題として扱われてきました。個人を処罰すれば解決したと考えられてきました。

しかし、いじめの原因は脳の認識構造にあります。人類共通の問題とすることで、根本から解決する学びの機会を共同体単位でつくることが出来ます。

人間共通の問題にするメリット

・いじめの解決策は処罰ではなく学び
・いじめは隠すべきものではなく、学ぶべきもの
・一人ひとりの解析力が自分が対応できる範囲
・人生を通して学び続けるもの

いじめの解決策は処罰ではなく学び

いじめを人間共通の問題にすることで、「誰かを処罰すれば解決」で終わるのではなく、教室や学校などの共同体単位で、学ぶことを解決策とすることが出来ます。

共同体に関係するすべての人の、共通する問題として扱うことが出来ます。 またその学びから得られる価値は、人生を通して必要な価値となります。

いじめは隠すべきものではなく、学ぶべきもの

個人の問題にすると、情報は隠され、公にされることはなくなります。

人間共通の問題とすることで、いじめは隠すべきものではなく、学ぶべきものとして扱うことが出来ます。

いじめの原因とどのように起きるのかが構造的に理解できていれば、誰がいじめたのかという人物に着目する必要もなくなります。

誰もが当事者です。自身の学びに変えない限り、自分が繰り返し辛い経験をすることになります。

ひとり一人の解析力が自分が対応できる範囲

いじめの発端は自らの尊厳の喪失です。

尊厳を喪失する不安恐怖をどのように防ぎ対応するのかは、自らの解析力にすべてかかっています。

「私にとっていじめとは何か」「尊厳が傷つくとは何か」「認識構造を理解することが人生にどのような影響を与えるのか」など、深く解析する経験を増やすことが、結果的にいじめをなくすことになります。

ひとり一人の解析力が対応できる範囲になります。

人生を通して学び続けるもの

認識構造は死ぬまで働き続けるものです。同じくいじめも一過性のものではありません。

認識構造の影響は常に受け続けることになります。認識構造に振り回されるのではなく、認識構造を使う側になり、学び続ける必要があります。

いじめはどうすればなくせるのか

いじめは尊厳の喪失を補う手段の一つでした。 尊厳の喪失に対する不安恐怖そのものをどのように補うのかが明確になれば、結果的にいじめをなくすことが出来ます。

尊厳喪失の原因である認識構造を理解する

なにより、認識構造を理解すること、認識構造がなぜ尊厳を喪失させるのかを理解することです。

この理解によって、個人の問題から人間共通の問題へと移行できます。また、すべてに人が当事者であり、自らの尊厳を自ら守る学びが始められます。

尊厳喪失に対応する解析力を上げる

尊厳喪失を補う手段が個人まかせになっている限り、いじめをなくすことは出来ません。

補う手段を我慢ではなく、内面に閉じこもることでもなく、いじめることでもなく、自分自身への学びに変え、解析力(考え、感情、イメージ)を上げることです。

自分が解析できる範囲が対応できる範囲になります。 学ぶ機会を日常的に持つことができれば、尊厳の喪失に対応できるようになります。

自分の尊厳を他人にゆだねない

自分の尊厳は自分自身で対応する必要があります。 自らを決定できるのは自分だけであり、他者を介在させてしまうと、受動的な尊厳となり、いつまでたっても振り回され続けてしまいます。

ただし、ひとりで孤独に対応するべきだと言っているわけではありません。 最終的に「決める」こと以外は、他者との関係を通して学ぶ必要があります。

様々な形で学んだ最後は、自分にとってそれはどういうことだったのかを決める必要があります。この蓄積が他者に振り回されない自分をつくりだします。

学校コミュニティの中では、誰もが加害者または被害者として、いじめや攻撃的行為に関与する可能性がある。モナ・オムーア

まとめ

・自分のことを決定出来るのは唯一自分だけです。
・自己尊厳を補うには、唯一、自分と対話するしかありません。
・個人で立ち向かわざるを得ない状況にいる人は、自分を否定するか、相手を否定するかの単純な選択に走りやすくなります。
・いじめの原因は認識構造にあります。個人の性格や育った環境は、直接の原因ではありません。
・尊厳の喪失を補おうとする手段を教育することで、我慢や内面に引きこもり、いじめを減らし、新たな学びへと変えることが出来ます。

いじめの現状といじめが起きる仕組み、そして今回は、いじめをなくすには何が必要なのかを深堀りしてきました。

私自身もいじめの当事者でした。いじめられっ子だったと言葉にすることはありますが、今は被害者としての意識はありません。

日本の教育の現場には、アイデンティティ教育と哲学がありません。 自分自身についてどのように考え、周りとどのように深めていくのかを経験する機会がないのは、大きなマイナスです。

いち早く、尊厳の喪失へ対応できる解析力を学ぶ機会を持つべきでだと思っています。

いじめをなくすために

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