人と人は違うのは分かるけど、共通点は何があるのかしら
誰もが脳を使っているのは共通しているよ、特に認識のクセはみんな一緒だよ
疎通の課題を解決する上でも重要な認識のクセの基本を理解する内容です。
認識のクセの仕組みと影響について深めてみましょう。
・認識のクセの4つの条件
・脳には認識できない世界がある
・見ている世界は認識した結果の世界
生きている限り、認識のクセは働き続けている
私たちが生きている間はずっと脳が働いています。
自分と自分の世界について、理解したり、認知した、判断や行動を起こしています。 その時に常に働いているのが認識のクセです。
認識のクセは、認識技術nTechのNohJesu氏によって発見されました。
自分自身のことについて考えている時はもちろん、人間関係や現実について考えている時、瞑想やスポーツをしている時も常に働いています。
世の中には心理学やメソッドが様々なジャンルに数多くありますが、それらすべてに共通しているのが認識のクセです。
脳の認識のクセを土台としてすべてのことが展開されています。
認識のクセの理解を深めることは、自分との疎通はもちろん、人間関係やすでに知っているメソッドをより深く理解することにもつながります。
認識のクセの4つの条件
認識のクセには4つの条件があります。
「部分だけをとる」「違いだけをとる」「過去とつなげて認識する」「有限化する」です。
私たちは常にこの4つの条件を重ね合わせながら、生活しています。
部分だけをとる
私たちは常に部分を見ています。
前を見れば後ろが見えませんし、自分の部屋の中にいながら玄関を除くことは出来ません。
視覚でキャッチする情報を聴覚でキャッチすることや、触覚でキャッチする情報を味覚でキャッチする事も出来ません。
自分が話をしたいときは相手の話は聞けず、相手に質問しようとしている時は自分の話は出来ません。
私たちは常に部分や部分の集合を認識しています。
違いだけをとる
部分と違いはセットです。
違いが明確になればなるほど、部分も明確になります。 逆に部分が曖昧だということは、違いが曖昧だということです。
違いは比較や関係を生み出します。
私が私であるためには、私以外との出会いが必要になります。 脳では自分以外と比較することによってはじめて、自分を確認することが出来ます。違いが無ければ何を示しているのかを理解することが出来ません。
理解や確認、観察、認知には、必ず違いが必要です。
過去とつなげて認識する
人が歩いている姿や車が走っている「動き」を理解出来るのは、脳が一瞬前の動きを残像として認識するためです。 私たちが脳で見ている世界は、残像によって生み出された世界を見ています。
目の前で何が起きたのか、何があるのかを理解するときに、必ず記憶という過去のデータバンクに基づいて理解しようとします。
他にも、文章の脈絡を理解することやコミュニケーション、物語のストーリを理解することも過去とつなげて認識している世界です。
私たちは常に過去とつなげながら世界を認識しています。
有限化してとる
私たちが目で世界を見るには可視光が必要です。 光が消えてしまうと、目で見る世界はすべて暗闇に消えてしまいます。
目で見る世界の色や形、物と背景との違いや境界線は、目からの情報を脳が処理して現しています。
光自体に、色や境界線を現わす情報はありません。光には波長の違いや光の角度の違いという情報があるだけです。
脳の中で、色や境界線が「無かった」ところから「有る」ようにさせていることを有限化と言います。 部分や違い、過去も有限化させた世界です。
私たちは脳によって有限化された世界を見ています。
脳には認識できない世界がある
脳には認識のクセの4つの条件があり、常に認識のクセが働いていることをお伝えしましたが、脳には認識することが出来ない世界があります。
「全体」「共通」「今ここ」「無限」です。
部分に対して全体、違いに対して共通、過去に対して今ここ、有限化に対して無限となります。
全体は認識できない
前を見ながら同時に後ろを見ることは出来ません。 さらに足の裏や鼻の中を同時に見ることは出来ません。
ミリメートルよりも小さな単位、マイクロメートルやナノメートルを肉眼で見ることは出来ません。同じように、キロメートルやギガメートルの尺度で世界を眺める事も出来ません。
脳が何かを認識している時は必ず認識できない側面が出てきます。
共通は認識できない
違いが無ければすべてを同一視してしまいます。
私たちは、すでに分かっている、知っていると思う事柄については、それ以上の関心を示すことはありません。分かっていることと同一視してしまいます
空気のように無味無臭の違いの無い世界については、空気を認識することは出来ません。どこの空気が濃度が濃くて、どこの空気が薄いのかは見分けがつきませんし、空気を包んで移動させても、空気が移動したのかどうか確認が出来ません。
右目が右目を見れないように、右手の親指が右手の親指を触れないように、それ自身はそれ自身と出会うことも認識することが出来ません。
違いを通して初めて、自身が何であり自身以外が何であるのかが認識できます。
今ここは認識できない
太陽からの光が地球に届くまでに8分かかるように、現実の世界ではあらゆる場面でタイムラグが生まれてしまいます。
目で見た世界が脳で処理され、何がそこにあるのかを理解する瞬間にも時間が経過してしまいます。
私たちの脳は今この瞬間を認識することは出来ません。
無限は認識できない
部分や違いが無く、時間差もないのが無限の世界です。
認識する材料が何もない世界ということになります。
無限の可能性という言葉がありますが、認識できない、認識したことのない可能性という意味になりますね。可能性も認識できないということになりますが、、、 ちなみに、有限の可能性となれば、認識できる世界の可能性になります。
私たちの脳は無限を認識することができません。
人が見ている世界は脳が認識した結果の世界
誰もが脳を使っています。 ということは、すべての人が、部分だけをとり、過去とつなげて物事を考えていることになります。
人の考えや感じている世界は認識の結果です。
認識の結果は人それぞれですが、認識のクセの仕組みは全く同じです。
必ず部分を見ているのであれば、どの部分を見ているのかを明確にすることで共有しやすくなります。 過去とつなげて理解してしまうのであれば、過去のデータバンクにある言葉やイメージを使って共有することが必要になります。
違いを前提とした関係構築は難しいものですが、共通からの関係構築は疎通するうえで重要な足掛かりになります。
誰もが脳が認識した結果の世界を見ていることは、どんな教育を受けていても、どんな文化で育ったとしても、性別や年齢、障害のある無しに関わらず、すべての人にとって共通する仕組みがあるということになります。
この仕組みが、分かり合えるようにする要であり、自分と疎通する要です。
人間は自分自身と折り合える程度にしか他人とも折り合えない。
ポール・ヴァレリー
まとめ
今回は認識構造の基本である、認識のクセについてその基本の仕組みをお伝えしました。
使い方については、またいずれお伝えしようと思いますが、まずは誰もが部分を見ていることを意識するだけでも、ずいぶんとコミュニケーションがシンプルになります。
相手が何を言っているのか、自分は何を伝えたいのか。コミュニケーションのキャッチボールをするのは、その部分だけでいいことがよくわかると思います。