waku私が感じていることはあなたも感じているわよね。



え!それは、大事な話だからちゃんと答えるよ。
分かり合う関係を作るには、隣にいる人であっても、「同じ世界を見てはいない」という感覚が重要になってきます。今回は、この疑問にも思わなかった大前提の感覚についてお伝えします。
- 盗作疑惑の二つの写真
- 脳の仕組みから観たら私たちは同じ世界は見ていない!?
- 同じ世界を見ている感覚はどこから来るのか
盗作疑惑の写真


ここに、同じ時刻、わずか28メートルしか離れていない場所から撮影された、そっくりな2枚の写真があります。一見、盗作とさえ疑われてしまうほど酷似した写真ですが、実はどちらも正真正銘の「オリジナル」でした。
ある人が、浜辺で灯台の写真を撮影しました。その写真をSNSにアップしたところ、見ず知らずの人物から「自分の写真を盗作された」と抗議を受けてしまいます。
もちろん、盗作などしていません。しかし、そう主張する相手の写真を確かめてみると、そこには確かに自分と同じ写真があったのです。
友人や、盗作を疑ってきた本人とも連絡を取り合いながら詳しく状況を分析した結果、驚くべき事実が判明しました。なんと、ほぼ同じ時刻に、たった28メートルしか離れていない場所から、それぞれが偶然撮影したものだったのです。
https://petapixel.com/2018/03/07/two-photographers-unknowingly-shot-millisecond-time


つまり、2つの写真は「似ているけれど、全く別の写真だった」ということ。
さて、ここからあなたに質問です。
もしこれが28メートル離れた場所ではなく、「すぐ隣で、同時に撮った写真」だったとしたら、それは同じ写真だと言えるでしょうか?
また、「全く同じ位置から、連写で撮った写真」は、同じ写真になるのでしょうか?
答えはきっと、「違う写真」ですよね。
では、
二人で灯台を見に行ったとき、あなたの隣にいる人が見ている世界と、あなたが見ている世界は、果たして同じなのでしょうか。それとも、全く違う世界なのでしょうか。
認識構造から見える認識の世界
私たちは、脳がなければ世界を理解することも、見ることもできません。
これを言い換えるなら、「自分が世界を直接見ているのではなく、脳が見ている世界を、自分が見ている」という表現になります。
では、私たちの脳はどのように世界を見ているのでしょうか。そのベースとなっているのが、脳の「認識構造」です。
この認識構造には、「部分をとる」という大きな特徴があります。これは、脳には「全体のすべてを捉えることはできず、必ず部分だけを切り取ってしまうクセ」がある、ということです。
例えば、夜空に浮かぶ「月」を思い浮かべてみてください。私たちが日常で見ている月は、常に地球を向いている表面だけです。見えていない裏側が隠れているということは、私たちは「月の一部分だけを切り取って見ている」ことになります。
この「部分をとる」というクセは、私たちの日常のコミュニケーションや思考にも、驚くほど強く影響しています。
- 「自分の話に集中している時は、相手の話が耳に入らない」
- 「自分のできないところばかりに目を向けて、落ち込んでしまう」
- 「人のうわさ話だけを聞いて、その人の人間性を決めつけてしまう」
これらはすべて、脳の「部分だけを切り取る」認識構造が引き起こしている現象なのです。
さて、誰もがこの「部分をとる」という脳のクセを持っているのだとしたら、私たちが生きている世界は、お互いに同じものだと言えるでしょうか?


例えば、2人で一緒に映画を観に行ったとします。
映画を観ている最中も、私たちの脳はずっと「部分」を切り取り続けています。
主人公の張り詰めた感情に着目する瞬間もあれば、映像の美しさ、ストーリーの伏線、音楽の素晴らしさなど、それぞれが異なる「部分」にフォーカスし続けながら映画を観ています。
では、その「切り取っている様々な部分」を、隣にいる人と一瞬一瞬、常にリアルタイムで共有し続けることは可能でしょうか?
想像するだけで、極めて難しいことが分かりますよね。
しかも脳内では、切り取った情報に対して「どう思うか」「どう感じるか」「あれは〇〇だな」といった、さらに複雑な要素が絡み合っています。
つまり、どれほど至近距離で、同じ瞬間に同じ映画を観ていたとしても、「2人は全く違う世界を見ている」ということなのです。
同じ世界を見ているという感覚はどこから生まれるのか
私たちには、「自分が見ている世界」と「相手が見ている世界」は同じである、という根深い感覚があります。
「自分がこれだけ感じているのだから、相手も分かっているはずだ」
「自分が理解できる話なのだから、相手も当然理解できるはずだ」
こうした人間関係のすれ違いの背景には、常にこの「同じ世界を見ている」という強力な思い込みが潜んでいます。
なぜ、私たちはこれほど確固たる錯覚を抱いてしまうのでしょうか。
原因を紐解くと、2つの強力なバイアスが見えてきます。


言語のバイアス
特定の形や機能を持った対象をパターンとして認識し、それに「灯台」という共通の名前を付けています。
誰かと「灯台」について話すとき、実際に共有しているのは「言葉」だけです。しかし、言葉が通じ合った瞬間に、私たちは「相手と同じ対象を共有できている」と誤認してしまいます。
言語を使うことで、個々人の細かな世界の「違い」は消去され、最大公約数的な共通点だけが残ります。この言語による世界の抽象化こそが、同じ世界を共有しているという強い錯覚を生み出す原因です。
共同体のバイアス
人間は必ず何らかの共同体に属して生きています。そして、共同体が機能するためには、同じルールや常識に従う「同調化」が不可欠です。
「この国ではこれを『灯台』と呼ぶ」「ここではこういう行動が正しい」といった決まり事に沿って生きるうちに、私たちの意識は社会的に標準化されていきます。
個人の主観的な視点に関係なく、「共有化されたルールに従うこと」を求められ続けた結果、私たちは「見ている世界もみんなと同じだ」という感覚を強烈に刷り込まれていくのです。
仕組みが作った「共通の世界」という幻想
私たちが生まれる前から、この世界にはすでに「完成された言語」と「社会システム」が存在していました。
人間関係をスムーズにするための便利なシステム(言語や社会)に、私たちが幼少期から適応してきたこと。これこそが、大人になった私たちが「分かり合えない課題」に直面し、苦しむことになる一番の皮肉な要因なのかもしれません。
同じ世界を見ている感覚が引き起こす悲劇
脳の認識構造から見れば、私たちは決して「同じ世界」を見てはいません。しかし、私たちは長い間、お互いに同じ世界を見ているはずだと思い込んできました。
では、この「同じ世界を見ている」という強固な錯覚は、私たちの人生に一体何を引き起こしているのでしょうか。
一言で言えば、それは「悲劇」です。
「どうして分かってくれないの?」という分かり合えなさの痛みは、時に私たちの自尊心を深く傷つけ、尊厳を破壊し、人生を大きく歪ませてしまうほどの強烈な影響力を持っています。人間関係をいとも簡単に破綻させてしまうことは、あなたも経験があるかもしれません。
しかしその一方で、「分かり合えなさ」は、私たちの人間性を大きく成長させ、自らの生き方や「在り方」を学ぶために必要不可欠な要素でもあるのです。
脳に認識構造がある限り、人間から「分かり合えなさ」を完全に消し去ることはできません。
それなのに、これまでの社会は、分かり合えない原因を「個人の性格、能力、努力不足」のせいにして、すべて個人の問題として片付けてきました。
その結果、分かり合えなさが生み出す苦しみや孤独はすべて個人に押し付けられ、それが多くの悲劇や絶望を生み出す原因になっていたのです。
でも、これからは違います。
これが「脳の認識構造が原因で起きる、人間共通の問題(仕組みの問題)」であると誰もが理解できれば、状況は一変します。
苦しみを個人に押し付ける時代は終わり、それは「人間関係のメカニズムをどう学ぶか」という教育の課題へと変わっていくでしょう。そうすれば、かつて私たちを苦しめた、悲劇や絶望と言われるほどの深い痛みは、この世界から綺麗になくしていくことができるはずです。
まとめ
今回、私がいちばんお伝えしたかったこと。
それは、「私たちは、誰もが絶対に同じ世界を見てはいない」ということでした。
世の中にはたくさんのコミュニケーションのノウハウがありますが、これが、人間関係(疎通する技術)において「一番初めに、何よりも深く押さえておかなければならない」大前提です。
なぜなら、この前提が抜けたままどれだけ会話のテクニックを磨いても、「どうして分かってくれないの?」という、あの終わりなき悲劇と絶望を繰り返してしまうからです。
だからこそ、人間関係を新しく築くときの出発点は、こうでなければなりません。
「私たちは、最初からまったく違う世界を見ている」
ここからスタートすること。これこそが、何よりも重要なのです。
お互いの世界が「違う」と知っているからこそ、私たちは初めて、相手の世界を「知りたい」と心から思い、本当の意味での歩み寄りを始めることができるのですから。













